×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -



一松とゾンビ討伐に駆り出された例の地域は、これまでと同じように、幾日も経たず機構から『安全確認宣言』が出された。
私と一松は、共用リビングのテレビでそのニュースを見ていた。

「…いつの間に終わったの」
「だよね。最終確認の要請来なかったね。他の班が代わりに行ってくれたのかも」
「まあいいけど…休めるから」

あくびをした一松が、クッションを抱いてソファーの背もたれへ深く沈む。
私はリビングと一続きのダイニングキッチンで、昼食のカレーを煮込んでいた。

「私たちが優秀だから、最終確認いらなくなったんじゃない?」
「あーあり得るね。無駄だったんだよ今まで…」
「実はけっこう好きだったんだけどな、ゾンビのいない街を見て回るの。マスク外して堂々と歩けるチャンスじゃない?」
「俺はいつもマスク無しだけど」
「あ、そうだったね。カレー出来たよ、ご飯は自分で入れて」

反応は早いが緩慢な動作でソファーから起き上がって来た一松は、「どうも」と私の渡したお皿を手に取った。

「…死んでも腹が減るってどういうことだろうね」
「お腹が空くのは生きてる証拠だよ」
「生きてるって言えるのこれ」
「どっちかと言えば生きてると思う」
「ふうん…」

納得したようなしてないような相槌を打って、一松は炊飯器からご飯をよそい始めた。

「…ま、いいことだよね。人間の住処が増えるのは」
「なんか他人事だね」
「あいにく人間じゃないもんで」

息をするように吐かれる自虐はいつものことだ。しかし私が黙ってしまったため、一松の軽い口調とは裏腹に、言葉は重く床に落ちた。
一松は炊飯器の蓋をわざと大きめに音を立てて閉めた。鋭い言葉を吐く一方で、すぐに後悔もする彼なりの空気の変え方だった。

「食べないの」
「あ、うん。食べる」

私も生きているからお腹が空く。一松と同じだ。
自分のお皿を手に炊飯器に向かった時だった。
テーブルに置いていた、仕事用の携帯が鳴った。
席に着きかけていた一松が「仕事…?」と嫌そうに呟く。苦笑を返して電話に出た。

「はい、四班小山」
『急だが本部まで来てほしい。一つ確認案件がある』
「昼食後ではいけませんか」
『…ああ…食事の後の方がいいか。では一時間後に車を向かわせる。あいつは連れて来なくていい』
「分かりました」

午後は休みのはずだったのに。電話を切って息を吐く。

「何て?」
「私だけ呼ばれた」
「あそ…いってらっしゃい」

自分には関係ないと分かり、一松はくつろいでカレーを食べ始める。

「めんどくさいなー。一松も来てくれたらいいのに」
「やだよ。めんどくさい」
「片付けは一松担当だからね」
「げ…」

ダイニングに面した窓から、私たちが趣味でやっている小さな菜園が慎ましく風に揺れているのが見える。
何でもない昼下がりだと思った。思おうとした。



「彼だ」

顎でしゃくられたガラス窓の向こうに、一人の男性がいる。彼は明らかにゾンビ化していた。
防音仕様なので声は聞こえないものの、恐らくゾンビ特有の低いうめき声を上げ続けているのだろう。
のろのろとあてもなく動いているのは、獲物を求めているのか。ここがゾンビ対策機構の研究施設の一室で、一生ここから出されはしないことを、彼は恐らく理解していないだろう。

「…面影がありますね。本人でしょう」
「そうか。こういうのは報告義務があるからね」
「覚えてたんですか、私の元婚約者の顔まで」
「いや、見つけたのは六班でな。解析が一致した。ほら、奴が持ってるスマホで」
「ああ…」

そういえば、トド松はデータ収集と解析も担当していたんだったか。
どう見ても壊れかけのあのスマホは、戦闘員になるにあたって何らかの改造を施された物と聞いた。なので、実験用にするためなど、生きたままゾンビを捕獲する必要がある場合に、六班が駆り出されることが多い。
黙った私を上司がちらりと見たが、何も言わなかった。こういう時、淡々と報告だけをするに留めるのは、この人の気遣いでもある。

ゾンビの男は私の元婚約者だった。
あの日、離れ離れになった後、行方知れずになっていた彼だ。
もう駄目だろうと諦めてはいた。しかし、本当にゾンビになってしまっているのを目の当たりにすると、やはり重苦しい気持ちになる。

「…で、いつにする」

上司が静かに、当然の質問を投げかける。

「彼の関係者で生きているのは、恐らく君だけだ。君にその権利がある。規定通り、猶予期間はある」
「はい」
「なるべく早く決断してほしいが…すぐ答えを出せるものでもないからな」
「分かっています。…期間内には、必ず」

施設を出て、送迎の車に乗り込む。
同僚達もこういう感じだったのだろうか、と過ぎ去る風景を見ながらぼんやりと考えた。
私のような特級戦闘員には、いくつか特権が与えられている。その一つが、『ゾンビ化した自分の関係者が機構によって生きたまま捕らえられた場合、殺すタイミングの決定権を与えられる』というものだ。こうした特権は、常にキョンシーと過ごすという危険な任務を負っている代償でもある。
通常はゾンビ化していると認められた時点で、悲しみに浸る間もなく機構に処理されてしまうが、特級戦闘員の身内は別だ。いずれは土に還されるが、別れを惜しむ時間は与えられる。
だが、彼はもう他と同じく、生きていた頃の記憶など無いゾンビだ。生前の面影を追うことに意味はあるのか。
いや。意味はあるのか、などと考えている時点で、私はもう彼を彼とは見ていないのだろう。
そのことに気づいて侘しい気持ちになった。この世界に慣れすぎてしまった自分を、少し恨めしく思う。
なのにあの時、すぐに決断は出来なかった。
生前の姿を知っている、というのがきっと迷いの元なんだろう。
全く知らないゾンビなら、何の躊躇いもなく殺せるのに。


一松は昼食の片付けをしておいてくれていた。
食器乾燥機があるのに、使い方が分からないからだろう、手洗いしたものが水切りカゴに並んでいた。
昼食後はすぐ自室にこもったらしく、リビングに姿はない。ドアをノックして、「片付けありがと」と呼びかけた。
間髪入れずに一松がドアを開けたので、久しぶりにすごく驚いてしまった。お札の下の一松の両目が見開かれる。

「…何、どうしたの」
「いや、急に出てくるから…」
「たまたま出ようと思ったタイミングで杏里が…ちょっと、中覗かないで」
「ちぇ」

私のと同じ間取りのはずの部屋の全貌は全く見えず、追い立てられてリビングに戻された。
一松はお茶を飲みたかったらしく、今では高級品の緑茶を淹れ始めた。ついでに私の分も淹れてくれた。
「本部、なんかあった?」と興味なさそうに聞く背中は、実は気にしてくれていたことを物語っている。
隠す必要もないことなので、正直に話した。一松は私にかつて婚約者がいたことは知っている。

「……そう。じゃあ、決めないといけないんだ」
「正直見つからないでほしいと思ってたから、ちゃんと考えてなくて…どうしよう」
「杏里ってそういうとこあるよね…ダメだよ、考えてないと。このご時世なんだから」
「だよね」
「俺らみたいなのばっかりじゃないんだし」
「あ、一松の研究はどんな感じ?ゾンビから人間に戻せたりとか」
「…全然。まだ実験ですら上手くいってない」
「そっか。難しいものだね」
「…大体、ゾンビから完全に人間に戻せるわけないでしょ。俺がやってるのはゾンビが人間に危害を加えない方向の研究だから」
「それで充分でしょ。家族や友達がゾンビになっちゃった人にとってはそれだけでも嬉しいよ。それなら一緒にいられるんだから」
「……まあ、ぼちぼちやるけどね」
「ちなみにそれ、三ヶ月以内に出来たりする?」
「さあね。無理じゃない?」
「だよねー」

淡い期待は予想通りの返答で砕かれた。
抗ゾンビ研究は一筋縄ではいかない。映画のように、都合良くクライマックスまでに完成するようなものでないことは、この仕事をしていてよく分かっている。
午後の光が窓際のソファーの端に差し込んでいる。その光を全身に浴びられるように、身を寄せて座った。
菜園に雑草がぽつぽつ生えてきているのが窓越しに見える。お茶を飲んだら手入れをしよう。

「…決めたら、俺にも言って」

後ろで一松がぽつりと言った。

「ん?うん分かった。…あ、一松の実験にどう?材料じゃなくて、被験者として」
「あ?…あー、まあね」
「乗り気じゃなさそうだね」
「別に」

一松は湯呑みを口元に持っていき、大きく傾けた。

「…ただ、杏里の元カレを実験台にしていいわけ?って思って」
「何かの偶然でたまたま人間に戻れちゃったりするかも」
「………偶然じゃ意味ないんだよ」

少し苛立たせてしまったようだ。
音を立てて立ち上がった一松は、湯呑みを無造作にシンクへ置き、「夕飯いらない」と言い残して部屋に帰ってしまった。
真面目に研究をしている一松にとって、偶然を良しとするのは納得いかないことなのかもしれない。あの様子だと、本気で怒ったわけではないと思うけど。

「草抜き手伝ってもらいたかったのにな」

私の独り言は、誰にも聞かれずに冷めた緑茶の中へ落ちた。